不確実な情報
ベランダに椿の木がありました。現在は離れて暮らしている父母に義姉が贈ったものです。私が世話をするようになってからずっと花をつけていなかったので、てっきり真っ赤な椿が咲くと思っていました。
ところが咲いてみると薄桃色という。
思い込みというのは全く厄介なもので、似たようなものに朝のワイドショーやスマホから閲覧出来る毎日の星座占いというものがあります。
良い結果であれば信じるし、そうでなければ不安になる。
気休め程度にともう何年も閲覧していましたがこの度観るのをやめました。
きっかけは先日以前から患っていた病の手術をした際、担当医の方が大変献身的に看病してくださったことでした。私がかれこれ10年近く悩んできた持病について、その不安を取り除いたのが普段から親交の深い友人や家族ではなく、他人であったこと。
彼は私にとって命の恩人になったわけですが、手術当日までの対応は非常に分析的で個人的な会話など一言も交わしたことがありませんでした。それでも、私は救ってもらいました。
退院後自分にとって有益、もしくは娯楽的に価値がある情報というものが私を不安にしていることを感じました。本当は何も起こっていないのに誰かを疑ってしまうような。恐れのためにきっと多くの時間を怠惰に過ごしてきたように感じましたし、恐れなかった先生の努力の結果で私の命が助かったように感じました。
長い人生何度目かの生まれ変わりを果たしましたが、新しい日々は静かな湖のような心地で毎日を暮らしたいと思います。ここからはきっと、賜った命だと思うので。。。